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悲しい想い出は 忘れなくていいよ。 大切にしまっていたらいい。 前に進む勇気が 君にはあるはずだから。。
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想い出「中学生の頃のある一日」
2019-05-01 Wed 00:00
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「中学生の頃のある一日」




ある学校風景の一ページの出来事。

特別な日でもなく、ただ過ぎていく日だったはず。

子供だった私には、凄く嬉しい時間が来たはずだった。

ある教科の教師が休み、その時間が、自習時間になったからだ。



それを聞いて、歓声をあげていた、特に勉強嫌いな学友たちが。

私も同じ、勉強漬けの毎日に、一服の清涼剤が舞い込んだと思った。


それを告げた先生が、立ち去ると50人ほどの教室はすっかりリラックス。

各自各自に思い思いの事をし始めた、その時だった。



女性教師が突然ドアを開け、入ってきた。

確か、体育の教師だった。

なので、名前も知らず、話したことも無かった。



話し出した、突然、天皇陛下のことを。

昔、私の中学時代、当然、昭和天皇のことを。

今までの悪い行いや、出来事を、延々と話し出した。

10分以上も、話しただろうか?

で、みんなに最後に、挙手を求めます、と。

勝手に決めた。

天皇陛下が良くないと思ったひとは、手を挙げてと。



バタバタを手を挙げる教室のみんな。

勝ち誇ったように女性教師が言った。

教室を見まわして、手を挙げていない人を見付けた。

あれ?手を挙げていないのは、君だけだねと、私を。

一瞬の静寂、というよりも、緊張感が教室内に漂った。



たった一人の反抗?

全くそんな気はなかった、でも、昔の事、数十年も前の学校。

教師に逆らう事なんて、出来るはずもないことだったかもしれない?

結果的に、ある意味、教室で一人になった。




なんと、1対49、だった。




君、雫くんって言うの、反対の理由を言ってみてと、私を睨んだ。




今もそうだが、正しいと思った事、間違っていないと思った事は貫く精神。

そのままの、正直な心の中を言った。



私の家には、両親と兄弟、そして母方のおじいちゃんが一緒に住んで居た。

末っ子の私の話し相手になってくれ、手作りのおもちゃをくれた。

いつも穏やかで、怒った顔を見たことも無い、優しいお年寄りだった。

この女性教師の話を聞いていて、天皇陛下とおじいちゃんが重なった。

いつも穏やかで、自分たちを見つめている、優しいまなざしの人。

その人を貶め、悪と呼び、中学生の自分たちに、正当性の?挙手まで求める。



言った。



「だって、おじいちゃんをいじめたら、あかんやん、と。」




一瞬の静寂が教室内を包んだ。


そして、すぐそのあとに、大爆笑の笑いがおこり、一瞬で教室内の空気が変わった。





顔色が変わった女性教師。

ヒステリックに、話を続け、また再度の挙手を求めた。




なんと、25対25、同数になった。

嬉しいというよりも、信じられない気持ちだった。




青白くなった女性教師、更に更に汚い言葉で、天皇を罵った。

どうだ、という顔になった、また挙手を求めた。





なんと、50対0に。





女性教師の完敗になった。

だれも、教師の話に、挙手をしなかった。

天皇陛下はおじいちゃん、お年寄りを口汚く罵る、ただのヒステリー。

みんなもそう思ってくれたのかもしれない。




一言、言った。

覚えてらっしゃい!と。

私に向かって。




負け犬は、どこでも同じだと思った。




そして、教室から飛び出すかのように、出て行った。

あんなにも、ドアをきつく締めないようにと、言っている担任に逆らうように。



ドアのビシッと、廊下を蹴りつけるようにドタドタと、その音が消えると、教室に静寂が戻った

そして、教室は、今度は明るい笑いが沸き起こった。






寄ってきた顔、顔、顔。



「お前ええやっちゃのう」と。

「うち、雫くん、見直したわ」と。

「お前、凄いな」と。

「大逆転やの」とも。

口々に、声がした・・・。





ある意味奇跡だった。

勝ちたいとも、負けても良いとも思わなかった。

ただクラスメートの思いが、優しさが嬉しかった。





昔々の、想い出。





本日から元号が令和になる。

昔々の、昭和の時代の、懐かしい想い出です。






尚、この話は実話です。
嘘、偽りはありません。


書こうか少し迷たのは、この文章を読んだ人の中に、昔の同級生が居たら。
雫って、あいつか、と懐かしく思い出すのでは、と。

同級生のみんな、どうか教室内は、私語厳禁、静かに、頼むで。ww




作品を最後まで読んで頂き、ありがとうございます。





追記2019/04/30

平成最後の日に、書きました。

投稿は。
令和元年、記念すべき最初の日に。

確か?中1だった?、1年A組だったと思う?。
違っていたら、困るので、学年とクラス名は書かなかった。

整形外科に行く途中、元号が変わるので、
初日に、天皇陛下の想い出話を、書きたいなと思っていました。
が、帰宅後もパソコンの前にも座らなかった。
買い物などを済ませた夕方。
連休中に娘たちが、来る予定、でも詳細は全く聞いていなかった。

05/12日までに、数日大阪に来てくれたらと。
その間、婿の実家に寄って行くはず、lこちらは後で良いと。

そうしたら、LINEが、明日、令和初日から、12日まで大阪に来ると。
まさかと思ったが、いい知らせににっこりでした。

それを聞いてから、この物語を書きだしました。
最初書きたいと思い、途中迷っていましたが、今は書けてホッとしています。

娘には友達、親類が多いので、みんなも楽しい連休になりそうです。
私も、孫たちと家族水入らずです。
そして一日だけは、梅雨や台風に備え、我が家の屋根修理のお手伝いをしてもらいます。

皆さまも、令和元年、いい年をお迎えください。雫。。

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想い出「初仕事」
2019-04-03 Wed 00:00
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「初仕事」



新しい出会い、入学、入社などが4月から始まります。
私も遠い昔、懐かしい思い出がよみがえってきました。



広告代理店に入社したのですが、想像以上に大変でした。
コピーライターとして入社、初仕事が7文字を〇の枠の中に埋め込む。

つまり、文字数もデザインもコンセプトも決まっていて、7文字のコピーを書くだけ。

デザイナー主導で、コピーライターは従うだけ。

入社当時、コピーライターは、その程度の扱いでした。


わすか7文字のコピー。


それだけなのに、何度書いて、書き直しして持っていっても、OKが出ません。
1週が過ぎ、2..3週刊と・・何と、もうすぐひと月を迎えようしていました。


もうノイローゼ寸前でした。


胃は痛くなるし、胃腸薬を飲んだのは、生まれて初めてでした。


通勤の電車内でも、そのことばかり。
家で、寝るときも枕もとに原稿用紙と鉛筆を。
夢の中でもコピーを書いていました。
仕事場の洋式トイレに、原稿と鉛筆を持ち込んで書いたときも。

それでも、原稿用紙を突き返されました。

会社のビルの屋上にあがり、
青空の下でやっと書いたものを持っていきました。
デザイナーはいつものように受け取り、そのまま無言です。

またか駄目か・・と思い、仕方なく「書き直しですね」と言うと。

「これでええ、やっと書けたな、お前もしんどかったやろ、でもよう書いたな。」と
そして、次の仕事は明日朝に打ち合わせをする」と言われました。

本当に嬉しかった、またコピーを書いても、いいんやと。
安堵と、安心、明日への希望などが、いっぺんに頭の中を駆け回りました。

正直、自信を無くしていたし、辞める?の言葉が脳裏を何度もちらついたことも。



それから、何時しか、コピー、デザイナー、アシスタント、営業を率いるチームを任されるように

私が選んだ、いい人チームは、別名、お荷物チームと呼ばれた。


チームとしては、社内一番下の扱い。
仕事場4番目の、お荷物チーム?
上等、高級な商品は来ない、出来ない、扱わない、いや扱えない。
全く売れない商品、そんな仕事ばかり取ってる営業の方。
でも、選んだだけのことはある。
実力的には下だけど、すごくまとまりのある、明るい仲良しチームでした。

難問奇問を解くような仕事ばかり、お荷物ばかりが舞い込んだ、でもやりがいはあった。
他の誰も買わなかった、商品だからこそ、コピーで、デザインで見てもらおうと。
そんなチームでした。

ある日、いつもと同じように、営業が、にこにことやって来ました。
嫌な予感が・・。

ある山頂付近の一戸建て。
何度、広告を出しても、全く問い合わせすらないという、超難問物件。

仕事を取ってきたと、胸を張った。

当然、交通手段を調べた。
バス会社に問い合わせたら平日、バスが朝、昼、夜など5本だけ。
営業所の方に、続けて環境を聞いたら、タヌキが住んで居るような所だと。
笑えない現実が、目の前に突き付けられた。

超辺鄙な、山奥?と言っても良いところの一戸建て、5棟。
何処の広告代理店に頼んで、何度も広告をだしても、全く見向きもされない、超難問物件。


それを知らずに、にこにこと、、我が営業が顔を出した。。
うちの会社に任せてと、いい人だから、安請け合い、怖いもの知らず?
社長、ほんまかいな?と。
駄目で元々と、依頼きた。



燃えた、みんな。


会議室、みんなでブレーンストーミング。
当時、公害が問題になっていた。
喘息で困っている家族が居るのでは、
家族のために住まいを替えたいと思っている家族もいるはず。
コンセプトが決まった。

そのコピーを書いた、デザインも緑基調に、一日バス5本、超不便な所とも正直に。

眼を引くコピー。

公害の文字も大文字でヘッドコピーに入れた、広告に普通はあり得ない。

出来上がって、営業がおそるおそるスポンサーに。

住宅会社のの社長が、OK,ダメで元々、これが最後?。



なんと、完売した、5棟全て。


完売後も、問い合わせが続いたと、追加建築販売をすることになったと。
営業が、にこにこと報告してくれた。


それだけ、喘息などに苦しんでいる家庭があったのだ。
家族、特に子供を守るために、環境を一番に考えている親たちが。
どんな辺鄙な所でも、生活が不便でも、家族の命が一番だと考えている人たちが。

コンセプトとコピー、デザインの勝利だった。

私たちチームに、住宅社長から、感謝の金一封を頂いた。
チームで祝杯、ご馳走、本当にとてもいい思い出になりました。






皆さんも、仕事など、実社会でも大変なことが、これからもあると思います。
どうかご自身の力で、壁を乗り越えてください。
大変だからこそ、乗り越えられた時は、大きな自信になります。
どうぞ、自分を信じて、夢に向かって突き進んで欲しいと思っています。雫。。

追記2019/04/02 23:52
最初、最後の詩の、続きを読むために置いていました。
最後の詩の、仕事続きの話として。


でも、最後にコピーライターだったと書くのは?と。
本来は、短い言葉で目を引き、読んで貰うのが一番。
なのに、今は長文で、まとまりがないものばかり。ww

文字を書くのが好きで、この仕事に。
希望の仕事につけて、本当に嬉しかったです。

今回、ある方のコメントを読んで、やっぱり乗せようと、さっき。
急いで、投稿予定になりました。

折角書いたものを、載せずに仕舞うのは、作品も可哀想だと。
これが、普通の投稿の最後になります。
この一年間、ありがとうございました。

娘も孫も元気です、
私もいつか腰が治ったら、自らの足で歩き、娘の元へ行きたいです。
駅まで歩き、電車、バスを乗り換え乗り継いで・・。
それが、今の私の一番の願いであり、希望であり、目標です。

最後になりましたが、皆さま本当にありがとうございました。


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想い出「正しい嘘」
2012-09-18 Tue 23:59
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「正しい嘘」


『レ・ミゼラブル』(Les Misérables)
子供のころ、紙芝居で見ました。
この物語が強烈な印象を与えてくれました。

この物語を私達に選び、話してくれたのは
小4年生、担任S先生。
とても素敵な優しい女性教師でした。



ジャン・ヴァルジャンの物語
貧困に耐え切れず、
たった1本のパンを盗んだ罪で19年も服役していた。


ジャン・ヴァルジャンは、人が信じられなかった。
貧しさに飢え、風雨にさらされ汚れきった服を纏い、
貧しさゆえ、文字も知識も教育も、何一つ受けることの出来なかった。


そんな彼に向けられる蔑まれる視線。
ただ、貧しいだけで、何一つ悪いことなどしてはいないのに・・。
それなのに、たった一本のパンを盗んだと、19年の刑をうけた・・。
そして服役して出てきた、その日・・
身よりも金もない彼は・・司教館を訪ねた。


そんな彼を、司教は暖かく迎えた。
なのにその夜、彼は司教が大切にしていた、銀の皿を盗んだ。
そして逃げた。


彼は憲兵に捕まり司教の下へ。
司教は怒り、失望の言葉を吐くのかと思ったら、そうではなかった。


「この食器は、彼にあげたものなのです」と、


盗んだというのは、間違いだと、彼を釈放させた。


何故、初めて会った、こんな私を・・
ジャン・ヴァルジャンは、自分のしたことを
本心から、悪かったのだと悟った。


人を信じることが、初めて出来たのかもしれない。
そんな彼に、
さらに、二本の銀の燭台をも彼に差し出した・・。
どうぞ、お持ちなさい、と。
ジャン・ヴァルジャンが、初めてひとりの人として
暖かく見守る人が居ることを、知った。




この、紙芝居を見て、本当に衝撃を受けた。
口先だけの、実体のない言葉で
「悪いことをしてはいけません」
「人のものを盗んではいけません」
何万回言われても、ここまで心に届かなかっただろうと。



子供心にも、司教のその優しさ、
広い心、感動し、太陽の心を知った。

そして、嘘はいけないけれど、
人を守る為の嘘は許されるのだと、分かった。

だから、そのことを、自分の子供にも、教えました。

嘘はいけない、しかし人を守り、許す嘘はついてもいいのだと。
そんな嘘ならどんどん嘘をつきなさい、
99人が嘘つきだとさげすんでも、
たった1人の人を助けることの出来る嘘なら、
それは正しい嘘なのだと。




作品を最後まで読んで頂き、ありがとうございます。





追記
人の命を、
自分の命、家族の命、大切な人の命と、同じ気持ちで見守れないのかと・・
特に、最近の事件は悔しい気持ちでいっぱいになります。

私は、自分がされて嫌な事は、人にはしない。
自分がされて嬉しいことは、人にもしてあげたい。
それを、信条のひとつにしています。
そんな当たり前のこと、当然なことが為されていない。

道徳教育、家庭の躾、優しさの本質等を誰も教えない。
いや、教えられないのでしょうね、
知らないことは、教えることは出来ないのだから

私が幸運にも、小学校4年で担任になった
S先生のような先生が
みなさんの傍に居ることを願っています・・雫。。


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想い出「息子へ」
2011-02-02 Wed 00:00
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「息子へ」


今日は楽しかった 久しぶりに会えて元気で本当に嬉しかったよ
もう成人 一緒にお酒を飲みたかったけれど お前はお酒が苦手で
でも それでも いいんだ 元気でさえ居てくれれば・・


久しぶりだね 家族三人で会えて 普段は会話も無くて淋しくさせてホントにごめんね
一生懸命に働いているようで 胸が一杯で そうか よかったね しか 言えなかった
ほんとは 一杯夢があって それを諦めていること 知っていて 何も言えなかったよ


お前が生まれた日 大阪では珍しく雪が舞う日 窓に積もった雪 今も覚えているよ
車で病院に 心は急くけれど でも 安全運転 お前に 逢いたいから 絶対に逢いたいから
腕に抱きしめた 私の指を握り締めた その力強い温もり 父親になった感動 忘れえぬ日





最初の子供だから そして 初孫だって そして 男の子だからと ホントに みんなの宝物だったんだよ
熱がでたと連絡 必死に車飛ばして 高熱びっくり 必死に連れてった病院対応いい加減で 怒鳴って 
自分のことなら我慢できるけれど 許せるけれど お前のこと だから 命を守るため 診療を拒否した


人間味の無い医者看護婦 許せなかった あんたたちには 日常の当たり前かもしれないけれど
たった ひとつの命 かけがえの無い命 自分の命以上の命 世界中にたった一つの命
それを守りたくて こいつらには任せられないと ・・・ 車飛ばして 自分の町の病院に運んだ


そんなこと なにもかも 知らないだろうし 教えてもくれていないだろろうし 記憶にも無い日々
今 目の前に居る ただ それだけで 本当に満足 生きてくれていること 命を守れたこと
一緒に家族 三人 こんな風に 一緒に食事 出来ること ふっと思い出した過去 懐かしくてね





父親として 何も出来なくて 本当にごめんと 謝らないといけないけれど 何も言えなくて
私が 父親と心繋がらなくて 本当に悲しい思いをして生きてきた日々 比べれば・・
こんなに 会えて 会話して 食事して 生きて会えること 本当に 今日は幸せだったよ


これからも いい親父じゃないけれど こんな風に 会えて話して 生きていけることを 互いに感謝して 
何も良いことがなくても 困ったこと悲しいこと淋しいこと あったら メールして 会おうな
本当にいい親父じゃないと こんな風に 会う度に思うけれど 男同士 無口同士として 分って欲しいな 


去年 私がお酒を飲んで 倒れて 心配させたね  あれは 一人の人の命を助けるため 飲まず食わず寝ずで
そんな 理由があったからだ 今夜は復活 もう 大丈夫 今日は美味しい 私の大好き 山崎の水割り 
でも 笑ったよ 二人に飲ませて 二人とも苦虫 でもね お酒におぼれるような人じゃなくて いいかなって





幸せ掴んで欲しいな 大好きな人出来たら 他の人に盗られないように きっと 生涯守れるように
お前は男だから 自分を鍛えて 強くなって どんな事あっても許せる心の広い人になって欲しいな 
だって 女の人は 弱虫だから お前が生涯守ってあげないと 信じてあげないと 可哀想じゃないか 


裏切られても 嘘はつかないように 人を信じる気持ちを棄てないように
私も騙されたよ 何度もね  悲しくて 悔しくて 絶望したことも 何度もあるよ でもね 自分を裏切らないように 
人を信じる気持ちを棄てないで 約束を守って 信じていれば きっと 道は開ける


絶望の日が訪れようとも 私はきっと 傍に居る 妹もお前の傍に居る
家族三人 絆を強く持って生きていければ どんなことがあっても 大丈夫
だから 心配することなんかないよ お前の生まれた日を 私も 誰も 忘れることは無いのだから・・





作品を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。





追記
2月3日は息子の誕生日です。
その日、仕事なので 昨日2月1日娘と一緒に、息子の誕生日を祝いました。
生まれたとき、あんなにも小さかったのに、いまは大きく育って本当に嬉しく思っています。

小さいときは喘息で、気温の上下差のある季節になると、いつも病院に連れて行った記憶が・・
幸い自営業だったので、お客様にはそのことを伝え、行けない事を了解してもらった。
そんな日々、懐かしく思い出します。そして、今そのお客様一人一人に感謝を伝えたいと思います。

ある時は救急車に乗って病院に、その時私は足を怪我ていて車を運転できなかった・・
なのに、必死だったので、足の怪我のこと忘れていて、そういえばクラッチを踏むたびに激痛が
病院について、歩けなくて、でも人は不思議で 廊下の手すりを伝って這いつくばって診察室に。

思い出すたびに、いろんなことがあったなぁ・・と。
お互いに生きて会える事が本当に嬉しくて、これからもこんな日が何度も訪れることを願って・・
今日は美味しい食事、お酒になったよ、今日の日よありがとう、そして、これからも続くようにと願って・・
雫。。

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想い出「びわの生る家」
2010-01-04 Mon 23:59
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「びわの生る家」



幼稚園に上がる前、和歌山に引っ越した。


そして小学校。
校区のはずれだったのか、とても遠かった。
大きな交差点には踏み切りがあった、てくてく歩いた。


途中にロシア人のおばちゃんが住んでいる家があった。
金髪で眼鏡をかけ、すこし太った、とても優しいおばちゃんだった。


大きな一本のびわの木があった。


びわの実が熟してくる頃、家の前で声をかけられ「びわ」を貰った、
とても優しい目をしていた。

優しかった・・
そして きっと 淋しかった・・

登下校の時間に いつも玄関に立ち 僕を 出迎えてくれた
格子戸はいつも開いていて 僕を迎え入れてくれた
びわの木も 僕が行くと 木の葉を揺らした・・

確か、ロシアのおばちゃんには子供が居なかった。
今考えれば、その質問がおばちゃんを傷つけていた。


子供のことを聞いたとき、とても淋しい目になった。


でも、僕には別の考えがあったのだ・・・


この人の子供になれたら・・・そう、思っていた自分が居た。
子供が家庭を自分で選べるようになったら、と・・・


不可能な夢や希望を胸にしまい込んだ。


今も時々「びわ」を食べると思い出す。

優しいロシアのおばちゃんの顔を・・
優しく澄んだ灰色の瞳を・・

そして、どうしても言えなかった言葉・・

「僕をおばちゃんの 子供に・・して・・」って




・・・・・・・・・・・・




小3 大阪に引っ越すことが決まった 

その日・・
真っ先に ロシアのおばちゃんの 家に行った

夏休みも もうすぐ 終わるころ・・

びわの木の葉が 風に揺れていた
格子戸は 閉まったまま・・

声 かけられなかった・・

どうしても 言えなかった あの灰色の大きな瞳から 流れる涙 見たく無かったから・・

小さな声で 言った

「ロシアのおばちゃん」って

その声は・・届くはずもなかった・・


もう ここに 来れないのかと思うと・・
涙が雫のように頬を伝って 流れた・・

歩いた 数歩・・
振り返った・・
ロシアのおばちゃんが 立っているような気がして・・


びわの木の葉が 風に揺れていた
僕に さよならと 言うように・・
手を振っているように 見えた・・



作品を最後まで読んで頂き、ありがとうございます。





^追記
こんなこともあったなぁ・・と。
思い出しながら書きました。
自分の幼い時のことなのですが
ナィーブな少年だったように思います。

兄弟が多かったのに、仲の良かったのは上から三番目の兄が一番で・・
年が離れていたから、遊んでもらえなかったり
私の何故?に答えてもらえなかったりして

だから
大人になったら、私の子供や近所の子供たちが「何?何故?」と問いかけたら
絶対に答えてあげようと遊んであげようと・・
まだ小1ぐらいで考えていたような気がしますね。

だから?
野山に遊びに行っては、野の草や花に声をかけたり
緑のじゅうたんに寝そべって、雲に声をかけ風と話をした・・
そんなことを、今、思い出していました。

他の家庭の子供になりたい・・そんなことを考えていた
だからこそ、いい父親にだけはなろうと思っていた
そんなすこし変わった?幼児期の想い出です。。雫。。

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